「何のために生きる」
「人は何のために生きているのだろう」
これは、高校生の息子が最近、私に話す言葉です。
高校生にもなると、なんだかこちらが思いもよらぬことを言ってくるので、ドキドキしてしまいます。
この言葉をきっかけに、何のために生きているのか、私も考えるようになりました。
現在、月2回ほど、私はリトミックの勉強会に参加していますが、学べば学ぶほど奥は深く、学ばなければいけないことがたくさんあります。
そんな勉強会では、リトミックの指導法の授業があり、当番制で決められた課題のレッスンプランを立て、他の受講生に指導する「模擬指導」の時間があります。
指導してくださる先生からは、いつも細かいところまで指摘され、ドキドキビクビクしている私ですが、少しずつその空気にも慣れて、先日の当番で初めてほめられました!(半分は持ち上げてくれたとは思いますが・・)
素直に、嬉しい!
なんだか自信がなくなりそうなときに認めてもらえたことは、大人の私でも純粋に嬉しくて、「もう少し頑張ろうかな」という気にさせてくれました。
北風が吹く夜の帰り道、ちょっとスキップしたいような気分。
話は変わり、現在、私は幅広い世代の生徒に音楽を教えていますが、18歳を過ぎるまで、まったく音楽とかかわり無く生活してきた学生にも教えるチャンスがあります。
最初の半年は、熱弁ふるって楽譜の基礎を説明しても、ポカーンとしていてわかっていない様子。
そんな日々を過ごす中、指導して1年近くたった今、
「やっとわかったよ、移調の意味。チャルメラで弾いてみるよ」
と堂々とみんなの前で、チャルメラのメロディーを披露。それも色々な音から弾き始めたのです。
「すごいね!意味がわかってよかったね!」とほめると、ニコっと笑顔。とても満足した顔をしていました。
「わかった!」
という喜びを認めると、
「もう少し頑張ってみようかな」
という思いにつながり、ばらばらだったパズルの点が、少しずつ線でつながり、楽しくなっていくのです。
なんのために生きているのだろう。
それは、自分が認められること、必要とされているという気持ちが、生きるエネルギーになるのではないか、と思っています。